【解説後編】不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)とは?沢庵が柳生宗矩の活人剣思想に与えた影響

不動智神妙録

 

 どうも、こんにちは、合気道合心館の小川です。

 

 

今回も前回に引き続き、沢庵和尚の不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)をご紹介したいと思います。

 

 

この本は親交のあった伝説の剣豪 柳生宗矩に、沢庵が剣禅一致の極地について教えた本だと言われています。

 

 

前編を読んでいない方は、前編の戻ってから読んでくださいね。

 

 

 

↓↓画像をクリックしてください。 

不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)とは?

 

不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)は、江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法(兵法)と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である。

 

 

執筆時期は諸説あるが、内容から見て寛永年間(1624年から1645年)であろうと推測される。

 

 

別称を『不動智』、『剣術法語』、『神妙録』とも呼ばれ、原本は存在せず、宗矩に与えられた書も、手紙か本か詳しい形式は判明していない。

 

 

引用:Wikipedia

 

 

 

 

 


作者 沢庵宗彭(たくあん そうほう)とは?

沢庵宗彭
沢庵宗彭

 

 

沢庵和尚(1573年~1646年)は、正式には沢庵 宗彭(たくあん そうほう)と言います。

 

 

安土桃山時代から江戸時代前期にかけてので大徳寺の住職も務めた臨済宗の偉いお坊さんです。

 

 

大根の漬物「たくあん」の考案者としても有名です。

※これは諸説あるそうです。

 

 

ちなみに新選組の土方歳三はたくあんが大好物で山盛り食べていたそうです。

 

 

沢庵は、剣豪の柳生宗矩と若い頃より交流があり、教えを求める柳生に剣禅一如の境地を説いたそうです。

 

 

この境地を記した『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』は、禅の教えを持って、武道の極意を説いた最初の書物であり、武術から武道へ昇華に大きく貢献していました。

 

 

 

 

 

武術から武道へ昇華(※クリック拡大)
武術から武道へ昇華(※クリック拡大)

「活人剣」をとなえた剣豪 柳生宗矩(やぎゅうむねのり)とは?

柳生宗矩
柳生宗矩

 

柳生宗矩は大和国(現在の奈良県)にて、戦国時代末期の元亀2年(1571年)に誕生しました。

 

 

宗矩は柳生新陰流の開祖である柳生宗厳(やぎゅうむねよし)の五男です。

 

 

父 宗厳は徳川家康に招かれ「無刀取り」を披露することになるのですが、その際に息子である宗矩も同行します。

 

 

それが縁となり、宗矩は家康に仕え徳川家の剣術指南役として江戸に柳生新陰流を広めたと言われています。

 

 

(父 宗厳が徳川家に仕えるように、言われましたが、高齢のために息子 宗矩を推薦しました。)

 

 

宗矩は関ヶ原の戦いへも参加します。

 

 

関ヶ原の後は徳川家光に剣術を教えることになります。

 

 

 

不動智神妙録を書いた沢庵の影響もあってか宗矩は柳生新陰流を殺人剣ではなく「活人剣」と呼び、剣は人を斬るものではなく、悪を斬るためのものという信念を持っていました。

 

 

 

 宗矩の活人剣は合気道的な人を切らない、傷つけないという思想ではなく

 

 

「本来忌むべき存在である武力も、一人の悪人を殺すために用いることで、万人を救い『活かす』ための手段となる」

 

 

という指導です。

 

 

合気道の和合の精神は、活人剣の思想より、昇華されている気がします。

 

 

しかし、これは時代背景もあると思います。

 

 

柳生宗矩にはまだ戦があり、人を斬らなければいけない時代ですから。

 

 

 

 

 

 

宗矩も柳生新陰流の技法・理論を集大成して「兵法家伝書」という本を残しています。

 

 

ぜひとも、不動智神妙録と一緒に読みたい一冊です。

 

 

どのように影響をしあっているのか、見比べて読みたいですね。

 

 

 

 

■兵法家伝書(へいほうかでんしょ)

 

江戸幕府初期の将軍家兵法師範にして、参謀的な官僚(大目付)の地位にあった柳生宗矩が、当時の先駆的な剣の道、新陰流の剣理を大成した書。

 

江戸時代、天下泰平の世を迎えたとはいえ、幕藩体制の基礎が固まっていたとはいえない家光の時代に、「力の政治」を断行するためには強い先導力と決断力がリーダーに求められた。

 

本書は、宗矩の兵法の教え子だった三代将軍・家光に、幕府要路という立場から、兵法の理を通して、強いリーダーシップを培うための「経世」の書として呈上したものでもあった。

 

『兵法家伝書』(「殺人刀の巻-指導者の道心」「活人剣の巻-心は自由自在」「無刀の巻-虚なる心の力」)に加え、宗矩に思想的な影響を与えた沢庵著『不動智神妙録』の抄訳も掲載。

 

混迷を深める今日に、指導者の心の錬磨のうえで、示唆に富む一冊といえる。

 

引用:Amazon

 

 

 

 

 

 


■兵法家伝書のブログ

【こぼれ話②】映画や小説などで人気の柳生十兵衛は宗矩の息子

 

映画や小説などで人気の柳生十兵衛は実は柳生宗矩の長男になります。

 

 

柳生十兵衛と言えば、宮本武蔵の次に名前が出てくる有名な剣豪と言っても過言ではありません。

 

 

父の柳生宗矩もすごい剣豪なのですが、息子の十兵衛には知名度では完敗です。

 

 

ですから、武蔵と同様に、映画や小説のエピソードが一人歩きをしている部分があります。

 

 

たとえば、十兵衛と言えば、片目が見えず、眼帯をしているイメージをお持ちなのではないでしょうか?

 

 

一般的には、まだ十兵衛が幼い頃、宗矩が十兵衛の剣術の実力を試すために、不意に投げた石が目に当たり、失明したと言われています。

 

 

これは創作の可能性が高く、十兵衛はバッチリ両目が見えていたという説が有力です。

 

 

20歳の頃、十兵衛は家光の怒りをかい、謹慎のために10年もの間、公の場から姿を消すこととなります。

 

 

それが色々な憶測をよび、多くの伝説や講談を生むきっかけになりました。

 

 

(実は謹慎中は柳生の里にこもり、剣術三昧だったとか・・・)

 

 

 

 

 

おがわ
おがわ
宗矩の父である宗厳が天狗と試合中に一刀両断に断ち切ったと言われている岩(一刀石)が柳生の里にあります。 ここに今、鬼滅の刃ファンが聖地巡礼として訪れるそうです。

■片目に眼帯をした「隻眼の剣豪」のインパクトからか息子の柳生十兵衛の方が有名

 

 

 

みんな大好きサムライスピリッツ(サムスピ)にも柳生十兵衛は登場しますよね。

 

 

スーファミでやったなーサムスピ。

 

 

私はナコルル使いです。

 

 

 

沢庵と柳生宗矩の親交

沢庵と柳生宗矩の親交

 

吉川英治の「宮本武蔵」や漫画「バガボンド」には宮本武蔵を導く役として、沢庵が出ています。

 

 

しかし、実際に沢庵と武蔵の交流の形跡はなく、実際に沢庵と深く交流していたのは柳生宗矩でした。

 

 

宗矩の兵法家伝書には、沢庵から学んだ禅の思想が全編に渡ってつづられており、沢庵の「剣禅一如」の思想は宗矩の「活人剣」に思想に強く影響を与えたことが分かります。

 

 

ここでは沢庵と武蔵のちょっと面白いお話を紹介します。

 

 

なんかいい関係ですね。

 

 

 

 

【こぼれ話③】煙から離れた?

煙を遠ざけた

 

 

宗矩の剣豪のイメージとは違う、おちゃめな一面が知れるエピソードを紹介します。

 

 

沢庵が書き記したところによると宗矩は、かなりのヘビースモーカーだったようです。

 

 

 

 

沢庵宗彭
沢庵宗彭
お前、ちょっとは煙から離れなさいよ。

 

と宗矩に忠告しました。

 

 

次に沢庵が宗矩に合うと、なんと宗矩はとても長いキセルでタバコを吸っており、

 

 

 

柳生宗矩
柳生宗矩
ほら、煙から離れたぞ・・・

 

 

と、一休さんも真っ青のとんちをぶちかましたそうです。

 

 

ああ、母上様お元気ですか・・・

 

 

 

一休

沢庵のもう一つの代表作 太阿記(たいあき)

 

『太阿記』は兵法の「名人」の境地について禅の言葉で説き、悩む心がそのまま悟りに通じるという禅の「煩悩即菩提」の思想を、剣に当てはめて解説した書物である。

 

 

禅話における「太阿の剣(「何物をも切り断つ剣」の比喩)」から題を取っており、禅の視点から「兵法通達の人」とはどのようなものかを説いた内容になっている。

 

 

沢庵が一刀流の小野忠明(または小野忠常)に与えたとする説[1]があるが、沢庵が初めて江戸に出た寛永6年(1629年)時点で既に忠明は死去していることや、沢庵と小野家の交際を示す当時の史料が存在しないことから後世の創作と思われ、説自体の成立事情も不明。

 

 

『不動智神妙録』と同じく、将軍家兵法指南役・柳生宗矩に与えられたする説もあるが、明確な記述はない。

 

 

ただし、笠井哲によると宗矩の嫡男・柳生三厳(十兵衛)の伝書『昔飛衛といふ者あり』には本著と同様の思想が論じられているとされる。

 

引用:Wikipedia

 

 

 

 


 

 

沢庵の「剣禅一致」の思想を知るために、「不動智神妙録」と併せて「太阿記(たいあき)」も読んでおきたい一冊です。

 

 

沢庵のもう一つの代表作です。

 

 

 

 

おすすめブログ

もし、あなたが合気道に興味をお持ちなら・・・

 

合心館京都・大阪では一人でも多くの方に合気道を知ってもらいたい!という思いから、無料体験を行っています。

 

 

合心館では誰でも「2回まで無料体験」をしていただけるようにしています。

 

 

 

2回まで体験をした後に、入会をするかどうかはご自身で判断していただけます。

 

 

あなたがもし、少しでも合気道に興味をお持ちなら、ぜひ合心館の無料体験にお越しくださいね。

 

 

 

↓↓今すぐ、クリックして「無料体験」の詳細をご確認ください↓↓

 

 

また、合気道の稽古で使用しない道場の空き時間をレンタルスタジオとして貸し出しもしております。

 

 

↓↓京都市内でレンタルスタジオをお探しなら、下の画像をクリックしてください。

レンタルスタジオ御所南合心館

コメントをお書きください

コメント: 5
  • #1

    おおしまただし (火曜日, 08 8月 2023 12:23)

    己を省みると、悪い習慣を、捨てられない欲があるだろう。まだまだ、己は主として、生き残る力も、忍辱を、必要とする時代と、肝に銘ずることであった。

  • #2

    おおしまただし (火曜日, 08 8月 2023 22:00)

    無心の心と申すは、いしかきかのやうにてはなし。留るところ泣きを無心と申すや。やはり、自然に親しめる無心なき関心なき良心の行動では、脱炭素は、難しいよう。

  • #3

    おおしまただし (水曜日, 09 8月 2023 20:48)

    無心になるためには無念ということが大切である用。何かを求めている時のこころは、くさび、無我の時は、球体であります。無心の大きな球体に膨れ上がります。又、謙虚さ、全力なき視点を、変えていきたい。

  • #4

    おおしまただし (木曜日, 10 8月 2023 12:21)

    丹精について、危機感となる趣味を、はっきりしないで、山登りしてならない。やはり、忍辱に、ならず新たな、文章力に、道は開けない。無心の心、無念という人生の、目標と、なります。

  • #5

    オオシマタダシ (木曜日, 10 8月 2023 20:33)

    己を省みるに、改善を、目指して少しでも、無心に、個人の秘密を、守る球体でありたいと思う。