茶の本 第六章「花」を分かりやすく要約 ~茶と花の関係~

第一章「人情の碗」

 

どーも、おがわです。

 

 

明治初期に西洋諸国に日本を含む東洋の思想文化のすばらしさを知らしめるために、岡倉天心が書いた「茶の本」

 

 

 

今回は第六章「花」について、まとめていきますね。

 

 

茶会で茶室の床の間に飾られ、茶道には欠くことのできない「花」ですが、東洋と西洋の花に対する態度は全く違います。

 

 

天心は花に敬意をもたない西洋の態度を、批判します。

 

 

茶の本はもともと西洋で刊行された本ですから、相変わらずの歯に衣着せぬ物言いです。

 

 

・・・ではでは

 

 

 

茶の本 第六章「花」

 

天心は、第六章「花」で、茶道と連携しながら、発展した「華道」を解説しています。

 

 

「華道」には日本人が自然に対する根本思想が現れていると天心は言います。

 

 

 

 

原始人は「花」により人になった。

原始人は花により人になった

 

原始人は恋人に花輪 をささげる事により、獣性を脱して、人間になったと天心は言います。

 

 

 

少し大げさな気がしますが、それくらい人と花の関係は重要なものであると読者に伝えたいのだと思います。

 

 

原始人が獣⇒人間になったことを、天心は次のように表現しています。

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
彼は芸術の国に入ったのである。

花は友達

花は友達

 

 

天心は花は人にとって、欠くことのできない「友達」だと言います。

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
喜びにもしみにも、花はわれらの不断の友である。花とともに飲み、共に食らい、共に歌い、共に踊り、共に戯れる。花を飾って結婚の式をあげ、花をもって命名の式を行なう。花がなくては死んでも行け ぬ。

 

 

 

しかし、私たち人間は友達である花に対して、まだまだ野蛮な行いを多くしています。

 

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
悲しいかな、われわれは花を不断の友としながらも、いまだ禽獣の域を脱することあまり遠くないという事実をおおう ことはできぬ。

 

 

私たち人間は自分の都合で、花を摘み、鑑賞にために花の形をゆがめる。

 

 

なんて酷いことを友達である花にするんだ!

 

 

と天心は怒っているわけです。

 

 

 

しかし、そんな花のあつかいも、西洋の花のあつかいに比べたら、東洋はまだマシです。

 

 

 西洋の花はひどすぎると批判しています。

 

 

 

西洋の花への残酷な扱い

バラ

 

西洋では夜な夜な開かれる社交会で、たくさんの花が切り取られ飾られる。

 

 

そして、その花たちは翌朝にはゴミくずのように捨てられるのです。

 

 

 

その所業「ゲスの極み!」

 

 

それに比べれば、東洋の花の匠たちの罪はまだかわいいものだと天心は言います。

 

 

痛烈に批判します。

 

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大なものに違いない。いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう

西洋では膨大な花が消費される。
西洋では膨大な花が消費される。

東洋と西洋の花の扱い方の違い

引用:茶の本
引用:茶の本

 

 

西洋では花はモノとして扱われ、大量に消費されます。

 

 

そして、社交界が終われば、無用とばかりにゴミのように捨てられます。

 

 

 

一方・・・

 

 

東洋では花の匠は「花」を生き物して捉えて、注意深く、慎重につむ花を選びます。

 

 

そして、数本を美しくいけるだけで、西洋のように大量に飾ったりしません。

 

 

使った後の花にも敬意を表します。

 

  

 

花のの匠が花をいける場合、いっさいムダにしないように、徹底して心がけます。

 

 

花のいけ方に花への態度が顕著に表れていておもしろいです。

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
彼らは一枝一条もみだりに切り取る事をしないで、おのが心に描く美的配合を目的に注意深く選択する。 彼らは、もし絶対に必要の度を越えて万一切り取るようなことがあると、これを恥とした。

 

 

 

日本の匠はここまで花へ敬意を払っているのです。

 

 

この花への態度が、分かりやすく出ているのが、日本と西洋の花のいけ方の違いです。

 

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
これに関連して言ってもよろしいと思われる事は、彼らはいつも、多少でも葉があればこれを花に添えておくという事で ある。というのは、彼らの目的は花の生活の全美を表わすにあるから。この点については、その他の多くの点におけると 同様、彼らの方法は西洋諸国に行なわれるものとは異なっている。かの国では、花梗のみ、いわば胴のない頭だけが乱雑 に花瓶にさしこんであるのをよく見受ける。

 

 

 

日本の花の匠は無駄に葉をおとさず、花の全体の美を表そうとします。

 

 

 

 

日本と西洋の生け花の違い
日本と西洋の生け花の違い(クリックで拡大)

 

 

 

そして日本では、茶道と同様に、花をいけることも、宗教のレベルに昇華され、「華道」が生まれるのです。

 

 

 

 

 

華道の誕生

 

この章では、天心は華道の誕生から発展までを紹介しています。

 

 

それを簡単にまとめておきますね。

 

 

 

■15世紀 華道の誕生

華道のはじまり
華道のはじまり※クリックで拡大

 

 

華道が誕生したのは、茶道と同じ15世紀のことです。

 

 

昔からの言い伝えによると、はじめて花を生けたのは昔の仏教徒だそうです。

 

 

 

 

華道は仏教徒の花への心やりからはじまっているのです。

 

 

  

花を生き物として、人間と同等に、尊重しているのが日本の華道なのです。

 

 

 

足利義政時代の大画家であり、鑑定家でもある相阿弥(そうあみ)は、初期における花道の大家の一人であったと言われています。

 

 

 

 

相阿弥 山水図 メトロポリタン美術館
相阿弥 山水図 メトロポリタン美術館
相阿弥 山水図 メトロポリタン美術館
相阿弥 山水図 メトロポリタン美術館

岡倉天心
岡倉天心
茶人珠光はその門人(相阿弥の弟子)であった。また絵画における狩野家のように、花道の記録に有名な池の坊の家元 専能もこの人の門人であった。十六世紀の後半において、利休によって茶道が完成せられるとともに、生花も充分なる 発達を遂げた。利休およびその流れをくんだ有名な織田有楽、古田織部、光悦、小堀遠州、片桐石州らは新たな配合を 作ろうとして互いに相競った。

 

 

ただ注意しないといけないのは、初期の華道はあくまで、茶道の審美的儀式の一部に過ぎないということです。

 

 

茶室の床の間に飾る掛け軸などと同じ扱いです。

 

 

 

あくまで茶人が茶会にて客人をもてなすための美の一つに過ぎません。

 

 

 

生け花がが茶道から独立して、華道がそれ単体として楽しまれるようになるのは、17世紀中ごろになります。

 

 

 

 

 

 

■17世紀中旬 華道が茶道から独立 ~サブからメインに~

華道が茶道から独立
華道が茶道から独立(クリックで拡大)

 

 

天心の言葉を引用すると「花を花だけのために崇拝する事」

 

 

 

つまり、花を生ける事が、茶道の一部から独立して、華道として成立したのは17世紀の中旬のことです。

 

 

茶室から飛び出した華道は、花瓶を課するルール以外は自由になりました。

 

 

自由になった華道は、どんどん新しい手法や思想が出て来て、多くの流派が生まれることになります。

 

 

 

 

そして、この章の最後に、天心は実は

 

 

華道の大家の花よりも、茶人の生け花が好きなのだと言っています。

 

 

 

 

岡倉天心
岡倉天心
われらは花の宗匠の生花よりも茶人の生花に対してひそかに同情を持つ。茶人の花は、適当に生けると芸術であって、人生と真に密接な関係を持っているからわれわれの心に訴えるのである。この流派を、写実派および形式派と対称区別して、自然派と呼びたい。茶人たちは、花を選択することでかれらのなすべき ことは終わったと考えて、その他のことは花みずからの身の上話にまかせた。

引用:茶の本
引用:茶の本(クリックで拡大)

華道をめぐる物語 ~秀吉に「花」で立ち向かった男~

(映画)

(小説)


 

十六世紀。

 

戦乱に荒れ果てた京の都に、花を生けることで世の平穏を祈り、人々に生きる希望を与えんとする、「池坊」と呼ばれる僧侶たちがいた。

 

やがて織田信長による天下統一を前に、戦国の世も終わりを告げようとする頃、「池坊」の中でもその生ける花がひときわ異彩を放つ池坊専好は、信長の所望で、「大砂物」なる大がかりな生け花を披露するため、岐阜城へと向かう。

 

そこで専好は、千宗易という不思議な男に出会うが、巨大な松を中央に据えた大砂物は思わぬ失態を招き、信長の怒りを買う。

 

しかしそのとき、軽妙に事態を取り繕い、専好を救ったのは、信長に仕える若き武将、木下藤吉郎だった。

 

それから十二年。信長は本能寺の変によってすでにこの世を去り、天下はかつての木下藤吉郎、豊臣秀吉の手に委ねられていた。

 

期せずして池坊の執行となった専好だが、その立場ゆえに、迷いながらも自らの奔放な「花」を封印していた。そんなある日、今は豊臣秀吉の茶頭として、利休を名乗る宋易と再会する。

 

二人はしだいに心を通わせ、いつしか真の友として、互いが目指す「美」の世界を高め合う関係となっていく。

 

専好は利休によって、自らが求める「花」の心をようやくつかみ始めるのだった。

 

しかしやがて悲劇が訪れる。

 

天下を握ってから人が変わったように驕り高ぶる秀吉に対し、諌めるように自らの茶を貫き通そうとした利休が、その頑なさゆえに、秀吉に命じられ、自害に至ったのだ。

 

打ちのめされる専好。さらに悲劇は続いた。秀吉の乱心は嵩じ、罪もない街の者たちまでが、次々と命を奪われていく。

 

ついに専好は立ち上がった。時の最高権力者太閤秀吉に戦いを挑む専好。かけがえのない友、利休の仇討のため、彼が手に取ったのは、刃(やいば)ではなく「花」だった。それこそが、専好にしか成しえない「戦さ」であった。

 

 

引用:映画「花戦さ」公式サイト

 

 

 

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