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【インタビュー】谷本館長の生い立ち~合心館ができるまで

 

どうも、おがわです。

 

 

今回、京都での稽古会の後に谷本館長にお願いして、インタビューをさせていただきました。

 

谷本館長の生い立ち~合心館ができるまでについて、色々聞かせていただきました。

 

 

居酒屋にて雑談な感じでしたので、

 

少し、内容が読みづらいところがあると思いますが、許してください。

 

(私はビールが入りながらの酔っ払いインタビューですね💦)

 

 

 

このインタビューで多くの方に谷本館長の人となりを知っていただければ嬉しいです。

 

 

 

「合気道を通じて、一人でも多くの人の人生を豊かにする」

 

 

という合心館京都・大阪の運営理念は谷本館長の合気道に対するお考えより生まれました。

 

 

理念のバックボーンを知っていただくことでより、さらに深く共感いただけると信じています。

 

 

 

谷本館長が合気道は始めたきっかけは?

今日の稽古もお疲れ様でした。

 

今回は谷本館長にインタビューと言う事で・・・

 

気合を入れて、録音する機械をAmazonで買ったんです(笑)

 

超長時間、録音できるのでなんか雑談みたいな感じでお話を伺えたらと思います。

 

 

お願いします。

 

 普通に話す感じでいいか?

 

 

 

 

はい・・・

 

えー、まずは谷本館長はなぜ合気道を始められたのでしょうか?

 

きっかけなど教えていただけたらと思います・

 

20歳くらいまで運動をほとんどしたことがなかったと伺っていますが・・・

 

 

 

 

20歳の頃、お医者さんに運動をすすめられたんやな。

 

 

わしは小さな頃から、座るのもしんどいくらい、ひどい虚弱体質で・・・

 

おそらく内臓が悪かったんやろな。

 

 

それに、吃音(どもり)があり、恥ずかしくて、よう人前で話す事もできんかった。

 

合気道に出会うまでは、全然人生に希望を持てんかった・・・。

 

 

昔、わしは時計のお店をしてたんやけど、

 

仕事前に毎朝、点滴せんと一日体力がもたんのや。

 

 

せやけど、点滴に行くと午前中が丸々つぶれてしまう。

 

これではぜんぜん仕事ならんわ。

 

 

そんで、

 

いつも身体を診てくれていたお医者さんに・・・確か、女性のお医者さんやったけど、

 

 

ある日、わしは弱音をこぼした。

 

 

「こんな状態ではお先真っ暗じゃ・・・」

 

って・・・・

 

 

ほんなら、そのお医者さんが

 

 

「運動でもしてみたらどうですか?

 

一人で運動を続けるのは根気がいるので、どこか教室に入るのがいいと思いますよ。」

 

 

とすすめてくれたので、合気道を見に行こうと思ったんじゃ。

 

 

 

 

なるほど・・・お医者さんに運動をすすめられたわけですね。

 

では、その時になぜ合気道を選んだのですか?

 

当時は今ほど合気道は一般に知られていなかったと思うのですが・・・

 

 

 

 

わしの姉さんが近くの公民館で部外活動をしていて、

 

そこで合気道の稽古をしていたので、前から合気道は知っていた。

 

 

空手など他の武道ではとてもついていけない。

 

 

合気道は力を使わない、女性でもできるという事で、合気道なら身体が弱いわしでもできるかなと思ったんじゃ。

 

 

 

それで合気道の見学に行ってんはいいやけど、

 

身体がしんどくて、真直ぐ座る事も辛い・・・。

 

 

わしは壁に持たれながら見ていたので、

 

それを見て、指導者が怒ったんやろな。

 

 

 

その方はお弟子さんを四方投げかなんかで強くバン!と投げて

 

 

「あなたにこんな事ができますか?」

 

 

と私に言った。

 

 

それが悔しくて逆にやる気が出てきて、すぐに入会を決めた。

 

その頃は身体は弱かったんやど、負けん気は強かったんやろな。

 

 

 

 

 当時の合気道は今と違い、かなり激しかったと思いますが、

 

虚弱体質だった館長がすぐに稽古についていけたのでしょうか?

 

 

 

 

 はじめは全然皆についていけなかったわ。

 

 

その頃は今みたいに入門後、きちんと受け身を教えてくれなかった。

 

いきなりバンバン投げられる稽古の中に入れられました。

 

 

わしは内臓が悪く、腹筋がなかったので、後ろに垂れる時は頭から、前に倒れる時は膝から落ちてしまう。

 

それでみんなが

 

 

「人形が倒れるみたいだ」

 

「谷本は死んでしまいそうだ」

 

 

とかよく言われたわ。

 

 

でも、

 

稽古をしている内にだんだん腹筋がついてきたんやろうな。

 

そうすると、不思議なもんで、内臓を支える筋肉がついたのか、身体も丈夫になってきた。

 

 

 

 

 

 受け身をとっていたのが良かったのでしょうか?

 

 

 

 

たぶん、そうやろな・・・

 

わしは若い頃は受け身やった。 

 

 

身体が丈夫になってからは、

 

わしは身体が小さいので、技では人に勝てないので、受け身をバンバンとっていた。

 

 

投げられてもどんどん相手に向かって行って、受身で相手を疲れさせてつぶしてやろうと思ってた。

 

それでみんな私と稽古するのを嫌がったんやな。

 

 

たぶん、受け身で腹筋がついたのが、良かったんやろな。

 

 

それで健康になり、体力もついたし、自信もついて人前でも話せるようになった。

 

 

合気道に出会って人生が変わった気がした。

 

 

 

 

 

 稽古を始めて、どれくらいから自信がついてきたのでしょうか?

 

 

 

 初段とってからやな・・・。

 

 

わしの場合は初段になって、やっとみんなと稽古できるくらいになった。

 

それからは受身を磨いていった。

 

 

昔、愛媛大学で合気道をしていたすごく強い人が合心館にいて、

 

技がきつくて、みんなその人と稽古を稽古をするのを嫌がっていた。

 

 

わしはその人の受身をいつもとって、それでかなり受け身は鍛えられた。

 

 

その人はわしの事を「強いな~」と言ってくれたけど、

 

全然強くなかった・・・受身だけやけん(笑)

 

 

 

 

昔、稽古に来た人はその方と館長しかおられない時は、

 

みんな逃げて帰ったと聞いた事があります(笑)

 

受身と言えば、佐柳先生(※)の技もいつも館長が取っておられたとか・・・

 

 ※谷本館長の先生である佐柳孝一師範(高知県支部)

 

 

 

 

佐柳先生の受けは良くわしが受け取った。 

 

 

今の先生は「正面打ちで来てください」「突きで来てください」と言ってくれるやろ。

 

佐柳先生は「かかってこい」だけなんじゃ・・・

 

ほんまはそれが正しいわな・・・。

 

 

でも、先生がしてほしい攻撃方法があるんや。

 

 

柔道経験者だったので、胸取りが好きだった・・・胸を出したら「胸取りやな」とか・・・

 

すこし頭を下げたら「正面打ちだな」とか・・・

 

 

先生のサインを悟って、受けをしていた。

 

 

 わし以外の人はそれを察する事ができず、良く怒られていた。

 

 

 わしは先生のサインを理解していたので、怒られた事はなかった。

 

 

 

 

佐柳先生の気配を読むという事も、

 

谷本館長の武道の修行に活きているのかもしれませんね。

 

佐柳先生が松山に指導に来られるようになった経緯など教えていただけますか?

 

 

 

愛媛の合気道のはじまりは?

正確にはわしは佐柳先生の孫弟子なんや。 

 

 

わしの直接の先生は愛媛県支部の初代支部長の松隈先生や。

 

松隈先生が高知から佐柳先生を呼ばれるようになった。

 

 

松隈先生は大東流(※)の一派である八光流柔術を習った事があり、

 

近所の高校生と一緒に稽古していた。

 

 

その高校生が松山大学に入学し、せっかくなので「合気道部」を作りたいという話になったんじゃ。

 

 

そこで松隈先生が合気会本部の植芝吉祥丸先生(二代目道主)に手紙で相談をしたら、高知県の佐柳先生を紹介してくれた。

 

 

それで佐柳先生は松山大学と松山の合気道を見るようになった。

 

 

 ※大東流合気柔術、合気道の元になった武道の一つ

 

 

 

 

佐柳孝一師範について

 高知県における合気道の発展はひとえに佐柳孝一先生の御尽力によるものです。

 

佐柳師範は昭和35年に開祖植芝盛平先生の許可を得て四国で初の財団法人合気会の地方支部を設立されました。

 

以来40年にわたり高知県内はもとより四国島内で合気道の普及に心血を注がれました。

 高知県支部道場、中村合気会道場、高知県立武道館道場及び高知大学合気道部、松山商科大学(現松山大学)合気道部、高知女子大学合気道部、高知工業大学合気道部、高知県庁合気道部の各道場、大学、社会人団体道場を設立され平成11年7月に76歳で逝去されるまで指導、普及活動に東奔西走されました。

 

 現在、県内で合気道を指導されている方や団体の多くは佐柳師範の薫陶を受けた門人であり、諸般の事情から独立され新たな考え方に基づき普及指導を行っておられるものです。

 

 我々、高知県合気道連盟は佐柳師範の求められた愛の武道という理想を守り育んでいこうという決意の下、日々稽古に励むとともに人間としての成長を追及しております。

 

引用:高知県合気道連盟WEBSITEより

 

なぜ、合心館の基本技を植芝守央道主に統一したのか?

道主(どうしゅ)・・・合気道のトップ
道主(どうしゅ)・・・合気道のトップ

 佐柳先生の合気道は映像で見る限りですが、

 

今の合心館の技とかなり違うように思います。

 

どこかで合気会本部の形に合わせたと聞いたのですが、その経緯など教えていただけますか?

 

 

 

 

 合心館に急に日大とか香川大学でやっていた人とか、

 

他で稽古していた人がたくさん入ってきた時期があった。

 

 

その時に黒帯の指導がみんなバラバラで、初心者が困惑してしまった。

 

 

当時の道場はみんな好きに稽古をしていたので、やり方がバラバラが当たり前だったけど、

 

わしもこちらの先輩は「こうだ」というし、違う先輩は「違う、こうだ」という中で、

 

怒られながら、やってきたので、このタイミングで基本は統一したいと思った。

 

 

 

基本がみんな違うのでは、初心者がうまくならんし、続けられない。

 

 

それで合心館の基本を統一する為に、当時の植芝守央道場長(現道主)をお呼びした。 

 

 

合心館道場開き時と10周年の時に、二回くらいお呼びしたと思う。

 

その時に撮ったビデオを参考に、合心館の基本を作ったんじゃ。

 

 

 

 

 その時になぜ、佐柳先生や松隈先生ではなく、

 

植芝守央道主の技に合心館の基本を合わそうと思われたのですか?

 

 

 

 

 道主の技が一番、分かりやすいし、初心者が習得しやすい。

 

 

そして、道主の技をしていたら、

 

合心館の会員さんが、転勤などで引っ越す時とか、どこに行っても困らんやろ。

 

 

道主の技はみんな知ってるし、世界中どこ行っても通用する。

 

 

 

 

会員さんの事を考えて、道主の技に合わせられたんですね。

 

でも、急に技が変わったら、

 

今まで長く稽古をしていた人達は、困惑しませんでしたか?

 

 

 

 

 「自分たちが稽古する時は好きにしていいよ」ってしたんやな。

 

白帯に指導する時はこれに合わせて教えてほしいというお願いした。

 

 

特に反対もなかったと思う。

 

 

道主のやり方が世界のスタンダードやから、みんなが稽古できるんやな。

 

 

 

 

 道主の技か確かに、全ての技に共通項が多く、初心者は覚えやすいですね。

 

皆がそれに合わせて指導をしてくれたら、初心者は迷わないという事ですね。

 

 

 

 

 道主のやり方は分かりやすいし、誰でも覚える。

 

 初心者はまず難しい事は置いておいて、正しく技の手順を覚えてほしい。

 

 

それが級の段階や。

 

級は稽古をする下準備に段階、正しい手順をしっかりと習得する事が大切や・・・。

 

 

難しい事は段になってから追及すればいいと思う。

 

合気道がうまくなるのは時間がかかるのだから、地道にやる。

 

 

 

 

 谷本館長は色々な経緯があり、

 

道主の技に基本を合わせられましたが、

 

佐柳先生から教わった事は今の合気道に活きていますか?

 

 

 

 

 やっぱり、佐柳先生から教わった事は大きいな。

 

 

やっている事は佐柳先生やな。

 

技の中身は佐柳先生から教わった事をしている。

 

 

でも

 

佐柳先生の合気道は形がないので、(初心者が習得するのは)難しかった。

 

 ほんまは合気道は形がないというのが正しいんやけど、初心者には難しいわな・・・

 

 

 

 

 館長はよく「合気道は初段をとってから」と言われますので、

 

級の内は稽古をする下準備と考えて、

 

正しく技をする正しく受け身を取るという指導と稽古をすればいいですね。

 

ところで話は変わりますが、谷本館長が専用道場を建てたのは、どうしてですか?

 

 

 

 

谷本館長の昔の映像

なぜ、合気道専用道場を建てたのか?

わしが道場を建てたというか、お袋が建ててくれたんや・・・

 

合心館10周年の演武会をコミュニティセンターでやった時に、

 

たまたまお袋が来て、

 

わしがみんなの前で挨拶したんやろ、それでお袋が感動してしまって・・・

 

 

(谷本館長は虚弱体質と吃音があり小さな頃から話さない子供だったので)

 

 

それで、ワシの家に田んぼがあったんじゃ

 

 

そこに「道場建てなさい」と言って

 

お袋が自分の家を担保にして銀行からお金を借りて、道場を建ててくれた。

 

わしがお金返せないと家なくなるんで・・・

 

 

昔の道場(JR松山駅前)も今の合心館(美沢)と作りが良く似てるけど、

 

1階が駐車場で二階が道場だった。

 

 

 

でも、今より駐車場の土地がいっぱいあって、道場の横に倉庫も建ててくれて、

 

(お母さんが谷本館長が身体が弱いのを心配して) 

 

 

倉庫の収入でなんとか生活できたなって・・・

 

 

お袋は学はなかったけど、人間的にすごかった。

 

 

 

 

 それが前のJR駅前の合心館ですね?

 

今の美沢に引っ越して、どれくらいですか?

 

 

 

 

 どれくらいかな・・・

 

15年くらい??

 

 

 

 前の道場が確か芦原会館本部の真横だったんですよね?

 

芦原先生とはお付き合いはあったんですか?

 

 

 

 

 芦原先生には懇意にしてもらった。

 

芦原会館の今の館長とわしの息子と同級生でよくうちに遊びに来ていた。

 

そして、うちの奥さんと芦原先生の奥さんが仲が良かった。

 

 

 

 へー、かなりお付き合いがあったんですね。

 

 

 

 

 そんで、

 

芦原会館のスリランカの支部長をしとるのがおったんよ。

 

それは合気道したいって言って、うちに来てた時期があったんよ

 

たぶん段くらいまではいったんかな・・・

 

 

それで、一度スリランカに遊びに来ないかって言って、うちの会員さんが一度遊びに行ったら、空港にベンツ二台で迎えにくるんやって

 

そんでプールは貸し切り・・・

 

 

それでビックリして聞いたら、スリランカのマフィアのボスやったんや(笑)

 

 

 

 

ごい人やったんですね(笑)

 

 

 

 そんで、館長が行ったら、もっとすごい事なるでって言われたけど

 

いや、わしは行かん行かんいうて(笑)

 

 

 

居合道修行について

 また、少し武道の話に戻りますが、

 

谷本館長は合気道と並行して居合を20年されていますが、

 

このきっかけは何だったんですか?

 

 

 よく合気道は剣の理合いとかいうやろ。

 

でも佐柳先生は柔道出だったので、剣はあまりせんかった。

 

 

剣の稽古をしないので「剣の理合」と言われても、分からんのよ。

 

 

それで、自分が指導する事になった時に、

 

 

「剣の理合」って教える時に、自分が剣を稽古していなかったらいかん

 

と思ったのが、居合をしたきっかけや。

 

 

 

そんで、たまたま、わしの時計のお店に来た人が居合をしていたので、紹介してもらったんや。

 

※谷本館長は居合を20年以上稽古して、7段教士

 

 

 手をやられていた時期もあるとお聞きしましたが、

 

それも合気道の指導の為ですか?

 

 

 

 そうそう

 

空手は一年もしていないけど・・・

 

みんな若いけん、合気道を稽古してても「突き蹴り」をいうやろ。

 

若い時は持ち手なんか面白ないわ。

 

 

 

 

 

 「突いたり、蹴ったりしてきたら合気道でどう対応するねん」という事ですか?

 

 

 

 

 

 そうやな

 

若い時は突き蹴りやな。

 

(四国は空手や少林寺が盛ん)

 

 

空手はあまり長くするつもりはなくて

 

指導するのに突き方くらいは知らなあかんと思って、糸東流空手に習いに行った。

 

 

それで入門した後、

 

組手をしている時に、先生が入ったと思った有段者の突きを、わしがギリギリで避けたらしいわ。

 

 

 

それでお前なんかやってんのかという話で

 

合気道やっていますという話になった。

 

 

 

 

 

 合気道しているのは言ってなかったと(笑)

 

 

 

 

 それで

 

実はその糸東流の先生は植芝盛平開祖に合気道を習ってた事のある人で、

 

ずいぶん気に入ってもらった。

 

 

いつも稽古の帰りに家まで車で送ってくれて、道中に色々教えてもらった。

 

 

 

 

 空手は糸東流だったんですね。

 

 居合は確か英信流でしたか?

 

 

 

 

そうそう 

 

居合もな、合気道と似てて

 

同じ道場でも先生によっていう事が全然違うんじゃ。

 

引き切りじゃ、押し切じゃ みんな教え方が違うんや。

 

 

それでわしは固定に先生について入門しなかったので、

 

こちらの先生の言う事をしていたら、違う先生に怒られて、

 

何が正しか分からんくなって嫌になった。

 

 

そんな時に英信流の宗家に出会った。

 

宗家が高松に来て、講習会があったんで、それに参加したんや。

 

 

それで宗家に惚れ込んで、居合を続けていこうと思った。

 

 

たぶん宗家に出会っていなかったら、居合は辞めていたやろうなぁ

 

 

それで私は先生がおらんかったんで、宗家流だけを練習する事ができた。

 

先生がおらんのが、結果として良かったんやな。

 

 

 

 

 

 宗家の何にそんなに惚れ込んだんですか?

 

 

 

 

 まず説明が良かった。

 

 

剣は中心で切らなあかんとか

 

今私が合気道で説明している丹田と剣がつながるつもりでやるとか

 

剣を抜く時は、柄を相手の中心を突くつもりで抜くとか

 

あと、

 

剣は引き切りと言って、無理に引かなくても、剣には反りがあるんで、自然に当たったら引き切りになるとか・・・。

 

 

すごく(具体的な説明で)分かりやすかった。

 

 

これやったらわしでも続けられるかなと思った。

 

なんでも長(トップ)は凄いもの持ってるんやな・・・

 

 

 

  

分かりやすいというのは、

 

今日来た人でも迷わずできる教え方だったという事ですか? 

 

 

 

 

 そうそう

 

それでハッとして、宗家にわしはドンドンはまっていったんやな・・・

 

「これやったらわしでも続けられるわ」っと思った。

 

 

 

 

 

 館長が教わられたのは、何代目かの宗家ですよね。

 

 

 

 

 わしは教わったのは21代目宗家

 

 

それでその宗家がすごかったんやけど

 

英信流を広める為に、初心者が迷わんようにやろな、

 

宗家流やないと試験は通らんよって、ぱんと柱を決めたんや

 

 

 

 

 かなり思い切った事ですね。

  

それは内部で反発はなかったのですか?

 

 

 

 

 うーん、反発もあったし、抜けたところもあったけど

 

まあ・・・

 

なんでも両方ええいう事はないんやな。

 

 

そんで、話しが飛ぶけどな

 

わしが教えた人はみんな飛段になるんや

 

(昔、合心館では居合も教えていた。)

 

 

 

 

 

 それは館長が宗家流をするからですか?

 

 

 

 

 それもあるけど、

 

わしはポイントだけ教えて、細かな事は注意せんのや

 

そうするとみんな、ブーンと剣に思い切りができるんや

 

 

「ダメダメ」言われると委縮して、剣にのびがでない。

 

 

 

 

 谷本館長は今は合心館では居合を教えてないですね?

 

それはなぜですか?

 

現在、谷本館長がされる剣も居合の剣とは少し異なる印象を受けるのですが。

 

 

 

 

 合気道の中に剣も空手も全部入っている・・・

 

今は合気道を稽古すればいいかなと思っているんや。

 

 

 

 

無双直伝英信流21代宗家福井虎雄先生

合心館の始まり

 

館長はなぜ愛媛県支部から独立して、

 

合心館を作ったのですか?

 

 

 

  

 

 本当はもう合気道をやめようと思っていたんや。

 

 

「合気道は和合の道」とか良い事いっぱい言うけど、

 

実際は上の方行くと色々嫌な事もあるわな・・・

 

今思うと、当たり前の事なんやけど、若い時はそれが許せんかったんやろな・・・。

 

 

それで、もう合気道が嫌になって、

 

松隈先生に合気道やめますって言ったんや。

 

 

そしたら

 

「今は指導者がいないので、少し待ってほしい」という事で、

 

今年中は続けて、来年辞めようと決めた。

 

 

そんな時、道場に新しく女の子が数名入ってきたので、

 

歓迎をしようと言う事になった。

 

 

 

その席でみんな「来年はこうしよう、ああしよう」と盛り上がっている時に

 

わしがボソッと

 

 

「来年はわしはおらんけんな・・・」

 

 

と言ったんや。

 

 

そしたら、

 

ある黒帯の人が

 

「上のもんが簡単にやめるとか言ったらアカンでしょうが!」

 

と怒った。

 

 

それでその人と二人で呑みに行って、

 

二人で新しい道場を作りましょうという話になった。

 

(合心館という名前は実はその方が考えたらしい。)

 

 

でも、その人は学校の先生で転勤があるので、

 

「一年か二年しか助ける事はできんよ」という事で合心館ははじまったんや。

 

 

 

 

その方がいなければ、今の合心館はないですね・・・。

 

ところで、道場というのは普通、指導員というのをもうけると思うのですが、

 

今、合心館は指導員というのは設けずにフラットな組織にされていますね。

 

それはご自身の経験からそうされているのですか? 

 

 

 

 

 うーん、そうやな。

 

わしが前の道場の時に、指導員という事で仕事をほったらかしても、無理して稽古に行ってたんやな。

 

なんで、

 

合心館では固定の人に負担がかからないように、

 

指導員というのは作らずに、

 

黒帯なら誰でも前で指導してほしいという事にしている。

 

 

 

 

一人に負担が集中しないようにですね。

 

館長が今、京都とかに来られる時にお願いする人は

 

黒帯なら誰でもお願いする感じですか? 

 

 

 

 

 まあ、第一に来れる人やな。

 

その人の生活の中で、その日稽古に来れる人

 

 

 

 

 道場は負担のない範囲でみんなに協力をしてもらいながら、

 

作り上げないと難しいですね。

 

固定の方に負担が集中しないように配慮は必要だと思っていますが、なかなか・・・

 

みんな仕事があって家庭があって、

 

余った時間で合気道ですからね・・・しみじみ

 

 

 

 

 前でやる事で学ぶ事もある。

 

なので合心館本部は初段以上は

 

誰でも前でやってとお願いしてるんやな。

 

 

 

 

  教える事で逆に学ぶという事があるんですね?

 

教える上での注意する事はありますか?

 

 

 

 

 合気道は段階があるし、上達には時間がかかる。

 

「基本が大切」

 

5級の人には4級の事を教えるという気持ちが大切やと思う。

 

稽古は餅と一緒で硬い稽古を繰り返して、

 

練って練って柔らかくしていく事が大切や。

 

 

 

 

最後に・・・

 今日は貴重なお話ありがとうございました。

 

最後に合心館で稽古をしている会員さん、

 

これから合心館で稽古をはじめる会員さんにメッセージはありますか?

 

 

 

 まず第一に怪我せんことやな。

 

そして稽古はお互いを尊重しながら楽しくしてもらえたらと思います。

 

 合気道は楽しく稽古してほしいです。

 

 

 

 

インタビューをお読みいただきありがとうございます。

 

現在、二カ月に一度、偶数月に谷本館長を京都・大阪にお呼びして、稽古会を開催しております。

 

合気道経験者の方であれば、どなたでも参加できますので、お気軽にお問合せくださいね。

 

↓↓今後の開催予定はコチラの画像をクリニックしてご確認ください。