昭和の武蔵!国井善弥(くにいぜんや)とは??GHQから日本武道を守った男

どうもおがわです。

 

皆さんは国井善弥という武道家をご存知ですか?

 

 

合気道家も多く稽古している鹿島神流の18代宗家にして、日本武道を救った男と言われています。

 

その実力は圧倒的で、74年の人生で多くの他流試合を行い、生涯無敗を誇りました。

 

 

「昭和の武蔵」という異名をとった武人です。

 

 

今回は国井善弥先生についてまとめてみました。

 

 

 

鹿島神流18代宗家 国井善弥(くにい ぜんや)とは?

国井善弥(くにいぜんや)
国井善弥(くにいぜんや)

国井(國井) 善弥(くにい ぜんや、1894年1月20日 - 1966年8月17日)は日本の武術家。鹿島神流第十八代宗家。福島県いわき市常磐関船町宿内出身。

 

幾多の他流試合を相手の望む通りの条件で受けながらも勝ち続け、生涯不敗であったという。その圧倒的な武の実力から、「今武蔵」(昭和の宮本武蔵という意味)という異名で呼ばれた。

 

剣や棒など武器を取らせても、武器を持たない柔道家や空手家から挑戦を受けても、國井は戦う前から勝負が決しているかのごとく一本を取るのが常であった。武道界からは異端視されたが、日本古武道の強さを体現した武人だった。

 

弟子に、關文威(第十九代師範家)がいる。

 

なお、國井善弥は武名であり、本名は國井道之である。

 

墓所はいわき市常磐関船町にある勝蔵院に埋葬され、葬式は神葬祭で行われた。

 

引用:Wikipedia

 

 

 

■国井善弥の武道哲学

鹿島神流(かしましんりゅう)とは?

鹿島神流(かしましんりゅう)とは、日本の古流武術の流派。

 

 

剣術と柔術を中心に、抜刀術、薙刀術、懐剣術、杖術、槍術、棒術なども行う総合武術である。

 

鹿島神流の遣い手には、昭和時代に「いま武蔵」と称された國井善弥や、筑波大学名誉教授の關文威などがいる。

 

 

鹿島神宮に古くから伝わったとされる「鹿島の太刀」を元としている。

 

これは鹿島神宮祭神の武甕槌大神が悪神を鎮める際に使用した技がその始まりであるとして、抜刀術の「祓太刀」がその名残だという。

 

 

引用:Wikipedia

 

 

 

■鹿島神流のDVD

 

※こちらのDVDは合気道家でもある稲葉稔師範が鹿島神流を解説したDVDになります。

 

国井善弥の逸話

 

昭和の武蔵と言われた国井善弥の強さはいかほどのものだったのでしょうか?

 

いくつかエピソードを紹介したいと思います。

 

 

 

①国井善弥はGHQから日本武道を守った。

戦後、マッカーサー元帥をトップとするGHQは日本人の精神文化が軍国主義の元だと危険視し、

 

学校での柔道や剣道などの武道教育を全面禁止にしようとしました。

 

 

それに抵抗し、武道教育の重要性を必死で説いたのが、政治家「笹森順造」でした。

 

彼自身も武道家だったので、GHQの一方的な武道禁止が許せなかったのでしょう。

 

 

 

 

  笹森順造
  笹森順造
日本武道は相手をむやみに殺す野蛮なものではなく、相手を傷つけず制する素晴らしい道なんです!

 

と何度も根気強く、日本武道の素晴らしさを説く笹森にQHGは、武道を許すための条件を提示します。

 

それは・・・・

 

 

 

  GHQの人
  GHQの人
人を傷つけずに勝つのが、日本の武道なら、アメリカ海兵隊の中でも最強の銃剣術の教官と決闘して、実際に制する事ができたら、日本武道の素晴らしさを認めよう。

 

 

しかも、アメリカ兵は本物の剣をつけた銃剣で、一方の日本人は稽古用の竹刀で戦うという条件付きでした。

 

無茶ぶりをされて、笹森は頭を抱えます。

 

 

そんな事ができる剣術家がいるのだろうか?

 

その時に脳裏に浮かんだのが、国井善弥でした。

 

 

国井善弥は剣道に限らず空手や柔道などあらゆる武道家から受けた挑戦は全て勝利して、「昭和の武蔵」ともいわれた鹿島神流の使い手でした。

 

 

国井は二つ返事でその決闘の話を受けます。

 

日本武道の未来を背負っての決闘です。

 

 

そして、決闘の日を迎えます。

 

 

国井は竹刀を持って銃剣を持った米海兵隊教官との立会います。

 

勝負は一瞬でつきました。

 

決闘が開始されるやいなや国井は相手の攻撃を見切って竹刀で制し身動きの取れない状態へと持ち込みました。

 

 

あまりの実力の差にGHQも日本武道の素晴らしさを認めざる負えなくなり、日本武道の復活は認められました(※)。

 

 

 

 

  おがわ
  おがわ
(※)のように言われていますが、この決闘と武道教育禁止の措置の解除に関係があるかどうかは定かではないそうです。ただ国井善弥の強さを証明する事になる重要なエピソードです。

②国井善弥は生涯無敗!

国井善弥は他流試合を好んで受けたそうです。

 

明治神宮での奉納演武の際、他流派に立会いを求めてその後数年奉納演武に出入り禁止になったという逸話がある程・・・。

 

他流試合は剣術だけでなく、武器を持たない柔道や空手などからの挑戦も受け、ことごとく負かしていったそうです。

 

その圧倒的な強さから「今武蔵」の異名を取ります。

 

国井はその生涯において多くの他流試合をおこなうも無敗のまま、74歳で亡くなりました。

 

 

 

  おがわ
  おがわ
ヨーロッパのボクシングチャンピオンや相撲の横綱双葉山とも戦ったと言われますが、はっきりした出典は見当たりませんでした。

➂国井善弥は植芝盛平に試合を申し出た?

これは真偽ははっきりしていません。

 

ただ、私が以前に読んだことのある本でこのような逸話を見た事があります。

 

 

ある日、国井善弥が植芝道場で植芝盛平に試合を申し込んだそうです。

 

 

 

植芝道場にて・・・
植芝道場にて・・・
  国井善弥
  国井善弥
俺と試合して、俺が勝ったなら、道場の看板はもらって帰る!

  植芝盛平
  植芝盛平
道場の看板なんかいらんので、どうぞお持ち帰りください。

  国井善弥
  国井善弥
い・・・いや、そんなつもりで言ったのではない(照)帰る!

 

国井善弥は照れて試合をする事なく、帰ってしまったという逸話を何かで読んだことがあります。

 

しかし・・・どの本に載っていたのか、その後見つかりません。

 

 

 

  おがわ
  おがわ
持ち前の記憶力の悪さで、出典が全く思い出せません・・・。 この話をご存知の方は、コメント欄で教えてください。

 

合気道のお弟子さんで鹿島神流を習う方も多くおられたようですので、お二人の交流があったと思います。

 

このような試合の話もあった可能性はあると思います。

 

 

夢でも見ていたのかもしれません。

 

 

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