どうもおがわです。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
という言葉は誰もが聞いた事のある言葉です。
実はこれは「葉隠」の有名な序文です。
葉隠とは武士の生き方「武士道」を説いた名著の一つです。
しかし・・・
上記の「武士道とは・・・」の一説が、目的の為なら死を厭わないが武士道精神だと誤解され、
戦争の際に利用された経緯から、戦後、軍国主義的書物だという評価になり一時、禁書的な扱いになりました。
近年は再評価されてきています。
「葉隠」とは?
葉隠(はがくれ)とは江戸時代中期に書かれた書物です。
すでに出家していた佐賀藩士の山本常朝(やまもとじょうちょう)が説いた武士道精神を、同じ佐渡藩士である田代陣基(たしろつらもと)が全11巻の書物にまとめたものです。
葉隠が説く、武士道精神はその頃一般的であった儒教ベースの武士道とは少し違います。
武士は「死狂い(しにぐるい)」を貫く心得の中に、全ての徳が存在していると説きました。
現在でも役に立つ教えが多くあることから、現在でも多くの愛読者がいる名著になります。
■山本常朝(やまもとじょうちょう)・・・葉隠の口述者
万治二年(1659年)六月十一日に、佐賀市城下片田江横小路で、佐賀藩士山本神右衛門 重澄の末子として生まれた。
ちなみに、「忠臣蔵」の大石良雄もこの年の生まれである。
常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が葉隠(聞書第二)にあり、それによると、自分は 父七十歳のときの子で、塩売りでもやろうと父は思ったが、多久図書(重澄の大組頭)の「父の血を 受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、九歳のとき、光茂(二代藩主)の小僧として召し使われたという。
引用:葉隠れの道しるべ
■田代陣基(たしろつらもと)・・・葉隠の筆録者
延宝六年(1678年)、竜造寺胤久八代の孫である佐賀藩士田代小左衛門宗澄を父とし、 鍋島主水茂里の家臣の娘を母として生まれた。
初名を源七、通称又左衛門という。
若い頃から文筆に長じ、元禄九年十九歳のとき三代藩主綱茂の祐筆役となり、引き続き四代吉茂 にも同役で仕えたが、宝永六年三十二歳のとき、理由は不明だがお役御免となった。
翌七年三月五日 (陽歴四月三日)初めて山本常朝を黒土原の草庵に訪れ、教えを請うたときは失意のさなかであった と思われる。
引用:葉隠れの道しるべ
「葉隠」おすすめ書籍
マンガで読む「葉隠」
Youtube解説動画
三島由紀夫の葉隠入門
三島由紀夫は戦中から葉隠に魅かれ、愛読していました。
その三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をするというセンセーショナルな事件が起き、葉隠は危険な思想書のイメージを持つ人も多い事も否めない。
「葉隠入門」は三島由紀夫が葉隠の魅力をガイドした評論です。
三島は葉隠の魅力を以下のように述べています。
「葉隠」の言つてゐる死は、何も特別なものではない。毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、いはば同じだといふことを「葉隠」は主張 してゐる。われわれはけふ死ぬと思つって仕事をするときに、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。
引用 三島由紀夫「葉隠入門」
また、葉隠入門の前に書いた「小説家の休暇」という随筆の中では、以下のように絶賛しています。
私は戦争中から読みだして、今も時折「葉隠」を読む。犬儒的な逆説ではなく、行動の知恵と決意がおのづと逆説を生んでゆく、類のないふしぎな道徳書。いかにも精気にあふれ、いかにも明朗な、人間的な書物。封建道徳などといふ既成概念で「葉隠」を読む人には、この爽快さはほとんど味はれぬ。この本には、一つの社会の確乎たる倫理の下に生きる人たちの自由に溢れてゐる。
引用 三島由紀夫「小説家の休暇」
葉隠の名言
それでは葉隠の中に書かれている魅力的な名言をいくつか紹介してみます。
現在社会でも通用する素晴らしい名言ばかりです。
①武士道とは死ぬことと見つけたり
これは葉隠の冒頭の言葉として、あまりに有名です。
太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、死を美化・推奨する言葉だと誤解をされている事が多いです。
実際は武士なら、死を覚悟すれば、正しい決断と行動をする事ができるという教えになります。
決して死を美化するものではなく、
正しく生きる為に、死ぬ覚悟を持てという事だと思います。
以下は葉隠の現代訳からの引用です。
「武士道の基本は『死ぬ覚悟』である。死ぬつもりで臨めば、御家にとってよりよい決断・行動が出来る。こざかしい打算なく、肚を決めて奉公しろ。目的が達成できなければ犬死だ、などと上方(京都・畿内)風の軟弱な考えなど認めない。だいたい決断を迫られる現場で、確実に目的が達成できる最適な答えなんて最初から解るものか。
人間、誰でも死ぬより生きたいものだ。だが、死ぬべき時に命を惜しむのは腰抜けだ。しかし、生きるべき時に死ぬのは『犬死氣違い』だ。この判断は非常に難しいが、だからこそ日々精進し、死ぬ覚悟を新たに生きることで、奉公をまっとうできるだろう」
引用:葉隠
武士にとって、自分の生死ではなく、道理(主君への忠誠)を通す事が第一だったのでしょう。
以下の名言も葉隠のこの死生観に影響を受けているように私は思います。
②武士道とは死狂ひなり
「死狂ひ」とは、現代でいう「死に物狂い」に近いと思います。
しかし、現代人が「死に物狂いでやります!」と言っても本当に死を覚悟して、その言葉を発する人はいないでしょう。
葉隠の「死狂ひ」とは文字通りの意味だと思います。
「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」
引用:葉隠
現代訳は・・・
武士道は死に狂いである。一人を殺すのに数十人がかりでかなわないこともある
③修行に終わりはない
葉隠の中に以下の一説があります。
剣道修行に果てはない、昨日よりは今日と一生日々仕上ぐる事
つまり、「剣の修行に終わりはない、昨日よりは今日と満足する事なく、一生かけて追求して行く事」と言う事でしょう。
これは現在のあらゆる道に通じる言葉なのではないでしょうか?
私は合気道を稽古していますが、そのような気持ちで一歩一歩進んで行けたらと思います。
④聖(ひじり)は「非を知るという事」
物を多く知っている人が聖人なのでしょうか?
葉隠ではそうではないと言っています。
「自らの非を知る人」が真の聖人なのです。
以下は葉隠の一説からの引用です。
聖は非を知る・・・ソクラテスの「無知の知」みたいですね。
もし、あなたが合気道に興味をお持ちなら・・・
合心館京都・大阪では一人でも多くの方に合気道を知ってもらいたい!という思いから、無料体験を行っています。
合心館では誰でも「2回まで無料体験」をしていただけるようにしています。
2回まで体験をした後に、入会をするかどうかはご自身で判断していただけます。
あなたがもし、少しでも合気道に興味をお持ちなら、ぜひ合心館の無料体験にお越しくださいね。
↓↓今すぐ、クリックして「無料体験」の詳細をご確認ください↓↓
コメントをお書きください
島 泰蔵 (土曜日, 15 4月 2023 15:30)
私、佐賀県の出、葉隠の心を忘れない
ように、してます。