「風姿花伝」を分かりやすく解説 ~武道にも通じる能の教え~

 

どうも、おがわです。

 

 

今回は「風姿花伝」の内容を簡単のご紹介したいと思います。

 

「風姿花伝」は世阿弥(ぜあみ)が書き記した能楽の指南書ですが、あらゆる芸事、武道などに通じる内容も多く、現在でも多くの方が愛読書として、その名前を挙げます。

 

私が合気道を稽古しているので、いつか読まねばと思っていたのですが、今回やっと読む事ができましたので簡単に紹介いたしますね。

 

 

内容も素晴らしいのですが、何と言っても「風姿花伝」という名前がおしゃれですね。

 

 

 

風姿花伝の作者 世阿弥(ぜあみ)とは?

世阿弥(ぜあみ)は室町時代の大和申楽結崎座の申楽師です。

 

南北朝時代の1363年、大和四座の人気スターであった観阿弥(かんあみ)の長男として生まれました。

 

世阿弥が12才の時に、将軍足利義満の目にとまり、寵愛されます。

 

世阿弥は将軍や貴族の保護を受け、教養を身に付けていき、より大和申楽を深めて行きました。

 

(ちなみに猿楽が能と呼ばれるようになるのは江戸時代からだそうです。)

 

世阿弥は著書も多く、「幽玄」や「花」などの言葉を用い、申楽のブランドイメージを確立したとも言われます。

 

 

 

風姿花伝とは?

 

風姿花伝(ふうしかでん、風姿華傳)は、世阿弥が記した能の理論書。世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品。亡父観阿弥の教えを基に、能の修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など世阿弥自身が会得した芸道の視点からの解釈を加えた著述になっている。

 

成立は15世紀の初め頃。全七編あり、最初の三つが応永7年(1400年)に、残りがその後20年くらいかけて執筆・改訂されたと考えられている。「幽玄」「物真似」「花」といった芸の神髄を語る表現はここにその典拠がある。最古の能楽論の書であり、日本最古の演劇論とも言える。

 

多くの人に読まれ始めたのは20世紀に入った明治42年(1909年)に吉田東伍が学会に発表してからで、それまでは能楽流派の奈良金春宗家の相伝の「秘伝書」の形で、その存在すらほとんど知られていなかった[1]。『花伝書』の通称が用いられていた頃もあったが、後の研究の結果現在では誤称とされる。

 

能の芸道論としても読める一方、日本の美学の古典ともいう。Kadensho、Flowering Spiritなどの題名で何度か外国語訳もされ、日本国外でも評価されている。

 

引用:Wikipedia

 

 

 

風姿花伝

能は武道に通じるのか?

剣の達人である柳生宗矩は非常に能好きだったそうで、

 

沢庵和尚からも「能狂い」と戒められているそうです。

 

ある日、将軍家光と一緒に能を見た際、観世座の宗家(世阿弥ではない)の表演中に、剣で打ち込むタイミングを計りましたが、結局、宗家に隙はなく諦めたという逸話もあるそうです。

 

柳生宗矩は自身の剣術指南書『兵法家伝書』で、よく能に例えて剣術の極意を説明しています。

 

やはり、能と剣術(武道)は共通する面がたくさんあるように思います。

 

 

 

合気道に通じる世阿弥の言葉

「風姿花伝」は自身の家族の為に、世阿弥が書いた芸の指南書ですが、他の事にも通用する名言の宝庫です。

 

その為、能役者以外の方も多く愛読している事で知られています。

 

 

当然、私が稽古している合気道にも役立つ名言もたくさんあります。

 

今回は私が合気道を稽古していく上で役に立ちそうだなと思った名言をいくつか紹介したいと思います。

 

 

  

・初心忘るべからず

誰でも一度は耳にした事のあるこの言葉ですが、実は世阿弥の言葉です。

 

現在では「常に初めの志を忘れてはいけない」という意味で使われますが、世阿弥が伝えたい事は少し違います。

 

誰でも耳にしたことがあるこのことばは、世阿弥が編み出したものです。今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われていますが、世阿弥が意図とするところは、少し違いました。

 

世阿弥が晩年に記した「花鏡」には人生の3つの段階での初心を紹介しています。

 

 

「ぜひ初心忘るべからず」

若い時に失敗や苦労した結果身につけた芸は、常に忘れてはならない。それは、後々の成功の糧になる。若い頃の初心を忘れては、能を上達していく過程を自然に身に付けることが出来ず、先々上達することはとうてい無理というものだ。だから、生涯、初心を忘れてはならない。

 

「時々の初心忘るべからず」

歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。その時々の演技をその場限りで忘れてしまっては、次に演ずる時に、身についたものは何も残らない。過去に演じた一つひとつの風体を、全部身につけておけば、年月を経れば、全てに味がでるものだ。

 

「老後の初心忘るべからず」

老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということではなく、其の都度、初めて習うことを乗り越えなければならない。これを、「老後の初心」という。

 

 

引用:the能.com

 

 

 

世阿弥にとっての「初心」とは、初めの志という意味ではなく、能を生涯に渡り突き詰めていくために、その段階に必要な心構えという意味のように思います。

 

 

 

合気道も生涯稽古していく武道です。若い時は若い稽古、老年は老年の稽古とその時にできる事を精一杯する事が大切なのではと思います。

・序破急(じょはきゅう)とは?

「序破急」とは能楽の構成の事です。

 

「序」が無拍子かつ低速度で展開され、太鼓の拍数のみを定めて自由に奏され、「破」から拍子が加わり、「急」で加速が入り一曲三部構成で行うのが良いとされます。

 

そこから日本の芸事全般(※)に通じるリズムと言われるようになりました。

 

※ 能楽、連歌、蹴鞠、香道、剣術、抜刀術、居合道、茶道など

 

 

 

居合でも、鞘から剣を抜く時は、序破急のリズムで行うと、相手に動きを悟られ難いそうです。

・稽古は強かれ、情識はなかれ

「情識」(じょうしき)とは、傲慢とか慢心といった意味です。

 

「稽古も舞台も、厳しい態度でつとめ、決して傲慢になってはいけない。」という意味のことばです。世阿弥は、後生に残した著作の中で、繰り返しこのことばを使っています。

 

「芸能の魅力は、肉体的な若さにあり、一時のもの」という、それまでの社会通念を覆したのが、世阿弥の思想でした。それは、「芸能とは人生をかけて完成するものだ」という考えなのです。

 

「老骨に残りし花」は、観阿弥の能を見てのことばです。老いて頂上を極めても、それは決して到達点ではなく、常に謙虚な気持ちで、さらに上を目指して稽古することが必要だと、世阿弥は何度も繰り返し語っているのです。

 

慢心は、人を朽ちさせます。それはどんな時代の、どこの国にも当てはまることなのです。

 

引用:the能.com

 

 

 

若い頃の花は消え、「老骨に残りし花」を真の花と世阿弥は言っています。 どうすれば真の花が残るのでしょうか? 一生懸命やっていくしかないのでしょう。

・住する所なきを、まず花と知るべし

「住するところなき」とは、「そこに留まり続けることなく」という意味です。

 

同じところに留まり続けるのではなく、常に進化をし続ける事事、大切だと世阿弥は言っています。

 

合気道はいつも同じ型稽古を繰り返しますが、この世阿弥の言葉を胸に向上心を持って取り組めたらと思います。

 

 

 

「現状に満足しない事」 私も向上心を持って、合気道を稽古していければと思います。

・離見の見(りけんのけん)

表演している自分の姿を、左右前後からよく見ないといけないという教えです。

 

また、自分の姿が客席からどのように見られているかも意識して、能をする事が大切だとも世阿弥は教えています。

 

実際は自分の姿を見る事はできませんが、そのような意識で稽古をする事が大切なのだと思います。

 

現在は姿見などの鏡やビデオカメラがありますので、離見の見も昔ほど難しい事ではないのかもしれません。

 

特に合気道は試合がありませんので、自分自身の姿を客観的に見る意識は大切だと思います。

 

 

合気道の稽古中、意識をしても、姿勢を真っ直ぐ保つのは難しいものです。離見の見という意識を持つ事は大切だと思います。

今回、ご紹介した以外にも武道の稽古に役に立つ言葉がたくさんあります。

 

興味のある方はぜひ「風姿花伝」を呼んでみてくださいね。

 

 

 

・年々去来の花を忘るべからず

「年々に去り・来る花の原理」とは、幼年時代の初々しさ、一人前を志した頃の技術、熟練した時代の満足感など一段ずつ上ってきた道で自然と身についた技法を全て持つことで、これを忘れてはならない、という意味です。

 

ある時は、美少年、ある時は壮年の芸というように、多彩な表現を示しながら己の劇を演ずるべきだ、と世阿弥は説いています。入門時から現在の老成期まで芸人は、その一生を自分の中に貯え、芸として表現しなくてはならない。日々の精進が大切なのです。

 

引用:the能.com

 

生涯をかけて稽古をしてく芸事(武道も)はその時々でやるべき事が違ってくるのだと思います。

 

合気道で言うと、高段者は初心者と同じ稽古をしても深みが出てくると思います。

 

しかし、高段者の技には初心者の頃からの積み重ねがあって、深さが出てくるのだと言う事を忘れては行けないと思います。

 

その積み重ねを忘れていはいけないと世阿弥は説いているのではないでしょうか?

 

 

 

自分の級段の少し上を目指して地道に稽古をする事が大切だと思います。

晩年は不遇だったが・・・

晩年、世阿弥は佐渡島に流された。
晩年、世阿弥は佐渡島に流された。

 

将軍・義満に愛された世阿弥でしたが、年月を経るにつれ、この関係も変わっていきました。

 

晩年、義満は世阿弥のライバルである犬王という役者を寵愛するようになります。

 

 

それ以降も、世阿弥は組織の分裂や後継者に恵まられないなど、様々な苦難を経験します。

 

 

そんな中、世阿弥に更なる試練が訪れます。

 

永享6年(1434年)、72歳の世阿弥は突然、都からの追放を言い渡され、佐渡島に流されてしまいます。

 

そして、そのまま佐渡島で、その生涯を終えたと言われています。

 

 

そのような絶望的な境遇の中でも、世阿弥は自分を見つめ、能を深めていく姿勢を貫いたそうです。

 

その姿勢はこの言葉からもうかがい知る事はできます。

 

 

「命には終わりあり、能には果てあるべからず」

 

 

 

とてもここまでの覚悟は真似できませんが、私も合気道を生涯追及していければと思っています。

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