どうも、おがわです。
わたしは京都と大阪で合気道の道場を運営しています。
六三郎じゃない方の道場(×みちば、〇どうじょう)です。
ゴールデンウィークなので、暇で、鼻垂らしてボーとしていたら、ふと思いました。
「道場」ってなんだろう?って
気になると、調べずにはおれない、ややこしい性格なので
道場について、あれこれ調べてみましたので、簡単にまとめておきますね。
「道場」は本来は仏教の修行の場を意味する。
今、道場と聞くと、ほとんどの方は、空手や剣道を稽古をする場所だと思うと思います。
しかし、もともと「道場」は仏教の言葉なのです。
「道場」はサンスクリットのbodhi-manda(菩提樹下の金剛座)を中国で漢字にしたものです。
bodhi-manda(菩提樹下の金剛座)はお釈迦様が悟りをひらいた場所の事です。
つまり、お釈迦様が悟りをひらいた菩提樹の下の金剛座を、もともと「道場」と言いました。
そこから、時代と共に、中国で「道場」仏教の修行の場所と広い意味でつかわれるようになりました。
隋の時代、煬帝(ようだい)が寺院の名を「道場」と改めさせたりしています。
仏教の修行場所=道場
は日本でも使われるようになります。
親鸞がひらいた浄土真宗では、
門徒さんたちが集まって念仏を唱える場所を「道場」あるいは「念仏道場」と呼ぶそうです。
江戸時代 剣術の道場は「稽古場」と呼ばれていた。
戦国時代の終わり頃まで、剣術の指導は、師範が請われて、個人の屋敷などに訪れて、行うことが一般的でした。
それが、ある程度、戦乱が落ち着き、江戸時代に入ったころより、
宮本武蔵との戦いで有名な吉岡流のように定住して剣術の稽古専用の建物を持ち、弟子がそこに通い、剣術指導を受けるようになりました。
江戸時代はこの剣術の稽古専用の建物は道場と呼ばず、「稽古場」と呼ぶのが一般的でした。
■江戸時代の剣術の稽古場
ちなみにこの掛け軸ですが、
幕末になると尊皇攘夷の思想が高まったことから
新たに「天照皇大神官」を中央に加えて三柱の掛け軸を飾るようになったそうです。
「道場(どうじょう)」と呼ばれるようになったのは明治時代以降
明治時代に入り、剣道や柔道の稽古場所を仏教の修行場所と同じように「道場」と呼ぶようになりました。
明治32年(1899年)に、大日本武徳会は京都に武徳殿という道場をつくりました。
また、学校教育に剣道と柔道が採用されたことにより、多くの学校に道場が設けられることとなります。
昭和11年(1936年)に、文部省は管轄の学校に
「道場ニハ神棚ヲ設クルコト」
と通達をして、学校の道場への神棚設置を義務化しました。。
そのあたりの道場と神棚のあれこれは、こちらのブログに詳しく書いています。
ぜひ、あわせてお読みくださいね。
↓↓↓↓
■おすすめのブログ
道場に関する豆知識
その他、道場に関するあれこれ、豆知識をまとめてみました。
参考になればと思います。
■道場豆知識① 道場の上座・下座はどっち?
武道場では、入口から遠い方が上座、近い方が下座とされています。
なので、本来は入口とは反対側に武道場の正面を設けるのが良いようです。
しかし、現在では上座下座が判別しにくい道場もあるようです。
また、町道場などでは、テナントやレンタルスペースを借りての稽古も多いので、その稽古会のしきたりに従うのが良いと思います。
以下は合気道経験者でもある亀井静香さんの論文からの引用になります。
■亀井静香さんの論文からの引用
元来武道場は神聖な場所であると考えられており、武道においては、武道場に対して敬意を表さなければならないとされ、道場に対する礼儀作法も存在する。
そのため、上座・下座が不明確である上座判断基準が複数あるような武道場は、道場内での礼儀作法の指導の妨げにつながってしまうため、上座・下座が明確な武道場を建設することが重要とされていた。
しかし、武道が禁止されたことにより、戦後、武道場は神聖な場所であるという考えが薄れてしまった。
終戦前、武道場は運動場や遊戯場と同一視してはいけないとされていたが、戦後、武道復活のためにスポーツ化、国際化した武道では、武道場への敬意は薄れてしまう。
これにより、武道場の神聖さも希薄になり、さらに、上座・下座の概念が不明確な武道場が建設されるようになってしまったので・・・・
(中略)
2.上座・下座を明確に
道場作法の指導の妨げにもつながるため、それを防ぐために、①~③を満たすこと。
①出入口の稽古場を挟んで反対側が「正面」となるようにつくる
②便所、更衣室、用具室などは、なるべく出入口側に設ける
③便所、更衣室、用具室などを出入口側に設けることが難しい場合は、少なくとも「正面」と同じ面には設けない
引用:学校教育における武道場の研究 : 武道必修化にともなう整備促進への基盤として
■道場豆知識② 道場訓って何?
道場訓(どうじょうくん)とは、その道場の稽古を通じて、何を目指すのかを、現した文章です。
(企業でいうと企業理念のようなものです。)
道場にかかげられ、稽古前に唱和をして、門下生一同で共有します。
その流派の開祖の武道の考え方が色濃く出ています。
ちなみに、私が稽古している合気会には、道場訓はありません。
合気道の技自体が、「道場訓」だという考え方のようです。
以下は植芝守央道主の「合気道のこころ」からの引用です。
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■道場豆知識③「道場破り」って本当にいたの?
道場破りは小説や時代劇で、よく見るお話ですが、実際にこのような事が行われていたのでしょうか?
ちなみに、下は私の道場破りの勝手なイメージです。
【私の道場破りのイメージ】
①「たのもー!!!」と道場破りは、呼ばれてもないのに、急に勝手に来る。
②道場破りはとーても強くて、弟子たちは誰も敵わない。
③「さあ、師範!俺と勝負をしな!」と道場破りは言う。
④「ふふふ・・・私と勝負をしたければ、先にこいつは倒してからだ(汗)」と師範は一番強い弟子を、道場破りの相手に指名する(できれば、自分は勝負したくない)。
⑤しかし、一番強い弟子を、瞬殺する道場破り。
⑥いよいよ、道場破りと対決せざる負えなくなる師範。
⑦道場破りVS師範 師範はさすがの強さで粘る。応援する弟子たち・・・
⑧しかし、徐々に疲れが見える師範・・・集中力が途切れた瞬間、「師範!やぶれたり!!」と道場破りは切りかかる。
⑨「やめてーーーー!!!」と飛び出した師範の一人娘が、師範をかばって切られてしまう。
⑩「な・・・なんてことだ」悲しむ師範と、瀕死の弟子たち
⑪「ふふふ、この道場も今日までだな。看板はいただいていくぜ!」と立ち去る血も涙もない道場破り。
⑫そして、そこに放浪のサムライがたまたま通りがかる(むちゃ強い)。
⑬そこから、道場の名誉をかけて、道場破りを倒す物語がはじまるのだ!!
(実は師範の娘は生きていて、最後には放浪のサムライと結ばれる。)
道場破りはフィクションではよく取り上げられますが、江戸時代以前に、実際によく行われていたかは疑問視する声も多いようです。
後世の創作という意見もあります。
江戸時代とかだと、道場破りをして、負けたら本当に殺されそうですよね。
私は絶対にやりたくないですね。
どーなんだろうか??
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専門家 (月曜日, 18 7月 2022 09:29)
これは、全くデタラメで、道場とは仏教とは関係なく、道教で始まった修練場のこと。日本では、葡萄の商業化のために、神道と直接結びついている道教の道場という概念をそのまま真似された。