合気道 発祥の地は?田辺?白滝?綾部?岩間?

実は合気道発祥の地もいくつかあります。

 

実は合気道発祥の地といわれている場所は何ヵ所かあります。

 

代表的な場所は「田辺」「綾部」「岩間」「白滝」の4ヵ所ではないでしょうか?

 

これらの場所は実際に合気道の開祖である植芝盛平先生が住まれていた場所です。

 

 

ですから、どの場所を「合気道発祥の地」とするかは植芝盛平開祖がどの段階で合気道を完成させたかと考えるかにより違います。

 

植芝開祖は死ぬまで武道の研究をされて、技が変わり続けていたので、どの時点で完成とは良いにくと思います。

 

なので、この4ヵ所が「合気道の発祥の地」かどうかは分かりません。

 

 

しかし、どこの植芝開祖ゆかりの地ですので、合気道修行者なら知っておいた方が良いと思います。

 

 

 合気道家の呑み会で、きっと話しに出ると思います(^^)

 

 

植芝盛平開祖の略歴

明治16年(1883) 12月14日和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の和歌山県田辺市上の山)に生まれる。

 

明治41年(1908) 坪井政之輔氏より後藤派柳生流柔術の免許を受ける。

 

明治44年(1911) 志あって政府募集の北海道開拓民に応募、明治45年(1912)団長として北海道紋別郡白滝原野に55戸の同志を引きつれて移住、土地の開拓に着手する。ここで大東流柔術の武田惣角氏に会い教えを受ける。

 

大正08年(1919) 父危篤のため故郷に帰る。途中京都綾部町に立ち寄り初めて大本教の出口王仁三郎師に会い心を開かれる。父逝去後一家京都綾部に移住し、修行道場植芝塾を開設する。

 

大正末年 武道の新境地を開く。本格的に「合気の道」と呼称する

 

昭和02年(1927) 一家上げて上京、海軍大学校はじめ各所で指導する。

 

昭和06年(1931) 現在の東京都新宿区若松町に合気道専門道場を建設する。

 

昭和15年(1940) 公益法人として財団の許可を得る。

 

昭和16年(1941) 茨城県岩間町に野外道場を設置、心技さらに一段と飛躍。合気道普及の礎となる指導者の育成につとめる。

 

昭和30年(1955) 国内はもとより海外においても合気道の普及発展に力を尽くす。

 

昭和35年(1960) 合気道創始の功績を以って紫綬褒章を賜わる。

 

昭和39年(1964) 勲四等旭日小綬章を受賞。

 

昭和44年(1969) 4月26日逝去(86才)。生前の合気道創始の功績とその普及の功により勲三等瑞宝章を賜わる。正五位叙位。

 

引用:財団法人合気会

↑こちらの動画を見れば、植芝開祖の略歴が理解しやすいです。オススメです。

合気道4つの発祥の地(植芝開祖ゆかりの地)

田辺(和歌山県)

植芝盛平開祖の生誕の地です。

 

そういう意味では、田辺は合気道発祥の地にふさわしいのかもしれません。

 

田辺には植芝盛平開祖の生家跡がある他、植芝盛平頌徳碑や扇ケ浜公園内には開祖の銅像があったりします。

 

合気道修行者なら一度は訪れたい場所ですよね!

 

海外から来る合気道修行者も「この後、田辺に行く〜」ってよく言っています。

 

 

今でも田辺は植芝盛平推しです。

 

「田辺3偉人」の1人として、偉人シール(ビックリマンの作者が作成)になっています。

 

 

私、どんぴしゃで「ビックリマン」世代です。

 

欲しすぎるけど、今やヤフオクで2万近い値が付いていますね💦

 

 

誰か私に何も聞かずに二万円をください。

 

白滝(北海道)

北海道の白滝は、「合気道のゆかりの地」という石碑がたっています。

 

 

明治45年に29歳の若き植芝盛平開祖は80人の和歌山県人をたばねて白滝地区の開拓に行きました。

 

原生林の生い茂った当時に白滝地区の開拓の厳しさは想像を絶するものだったと思います。

 

この厳しい開拓生活の中で培った強靭な肉体と精神が合気道誕生に大きな影響を与えた事は間違いないと思います。

 

あとこの地で「大東流合気柔術」の武田惣角先生と出会いました。

 

この「大東流合気柔術」が武道の技術としては、合気道のベースになっていると言われています。

 

 

↓下の動画はかなりオススメです。植芝開祖の白滝での生活や武田先生との出会いなど分かりやすく説明されています。

 

 

綾部(京都府)

 

 合気道の武術の原点になったのは植芝盛平開祖が白滝で武田先生から学んだ「大東流合気柔術」だと言われています。

 

一方、合気道の精神性の元になったのが「大本教」だと言われています。

 

植芝開祖は父親の危篤の連絡を受けて、白滝から田辺へ帰る途中、綾部に立ち寄ります。

 

その際に大本教の出口王仁三郎師と出会い、感銘を受けます。

 

父親がなくなった後に、開祖は一家で綾部に移り住み、8年間を過ごします。

 

この地で大本教の助けも得ながら、「植芝塾」という道場を開きます。

 

そして、大本教が自給自足の生活であった事から、農業にも勤しみ

 

植芝開祖の「武農一如」の修行のスタイルも確立しました。

 

 

大本教のところ、少し掘り下げますが・・・

 

出口王仁三郎師からは「父親の病気は治る!」と言われたそうですが、結局父親はなくなってしまいます。

 

その事に対して晩年、植芝開祖はラジオインタビューで

 

「病気は治ると言われたが・・・その後、父親はなくなった。死んだという事は病気は治ったという事や」

 

とインタビュアーを混乱させて言葉を発しています。

 

むむむ・・・さすが開祖 意味不明💦

 

 

岩間(茨城県)

植芝開祖が58歳の時(昭和17年)に正式にご自身の武道を「合気道」と称するようになりました。

 

そして、東京からか岩間町へ転居する事になります。

 

この地で合気修練道場を作り、農業と合気道の研究に勤しみました。

 

 

岩間に転居する直前に正式に「合気道」と称するようになった事もあり、合気道発祥の地としていは最もふさわしい気がします。

 

植芝開祖自身も、ここを「合気道の産屋」と称しておられたそうです。

 

 

「合気神社」がある地でもあり、世界中の合気道家からは聖地のような所です。

 

 

実は田辺・白滝・綾部・岩間は友好都市です。

実は

 

田辺市、白滝のある遠軽町、綾部市、岩間のある笠間市の4市町は平成20年2月23日、植芝盛平開祖ゆかりのまちとして、友好都市提携を結びました。

 

今や合気道愛好者は世界中にいます。

 

この4都市は合気道誕生に深く関わった場所として、盛り上がって行ってほしいと思います。

 

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