私の名前は、ピエール・フィシエと言います。
フィッリップ・グター先生の弟子であるフィリップ・モンフーガ先生の生徒です。
私は、私のサイトである(Aiki-Kohai)を通じて、特に初心者の方々に合気道を広め、分かち合いたいと思っています。
私は、Bernard Palmier, Philippe Gouttard DidierBoyetといった他の先生の教えを習うことが好きで、また、他の師範ともコンタクトを取っています。
小川先生!まず初めに、初めの練習について教えてください。いつ、格闘技練習をはじめたのですか?
小川:私が合気道をはじめたのは高校一年生の終わりくらいだと記憶しています。
実は格闘技をしたいと思ってから、1年弱の時間を経てから合気道を始めました。
私は人見知りが激しく、口下手なこともあり、思春期だったので悩んで自律神経失調症になってしまいました。必要なこと以外は体がだるく寝ている様な状態でしたので、少し将来に悲観的になっていました。
その時に友人から柳川昌弘先生という方(虚弱体質と様々な病を抱えながら空手修行をされている先生)の著書を読んで、私も武道をしたいと思いました。
ただ直ぐに道場に行く自信もないので、本を読んで見様見真似で毎日、体を鍛え、空手っぽいことをしたりしていました。それが私の格闘技の初めての練習です。
しばらく続けると体力もつき、自信もついて来たので、空手でもしようかなと思っていたら、空手の本を紹介してくれた友人が実は合気道をしていたのです。誰にも言わずにこっそりと(笑)
それでお願いしてその子と道場に通うようになったのが私と合気道の出会いです。
あなたがまだ合気道を習っている生徒だったとき、練習においてどのような点が難しかったですか?また、何が簡単でしたか?
どの練習が好きでしたか?当時の先生は誰でしたか?
小川:私の合気道のはじめの師匠は奈良合気会の窪田師範8段です。大学では大阪武育会の森田師範や部活の先輩やOBから教わりました。
合気道をはじめて難しいというか非常に困ったのは、違う組織なら分かるのですが同じ組織でも指導者や先生によって言うことがかなり違うのです。
先ほども言いましたが、私は高校から合気道を習っていたのですが、大学で部活動に入った際は全くの1から技を覚え直さなくてはいけませんでした。
大学でははじめに教わった窪田師範と言われている事がかなり異なり(例えば窪田師範からは手の指をはれと教わりましたが、大学では力を抜けと指はあまりはりませんでした)かなり戸惑ってしまいました。
今ならそれは表面的な問題であって、内面では同じ事をしている、全て正解であると理解できます。しかし、当時は若く未熟だったこともあり反発を覚えて頑に自分流を貫いていたのを覚えています。
弱くて下手なくせに・・・(笑)
そういう経験もあり、今合心館京都では初心者が混乱しないように、かなり具体的に基本技の形を定めております。
そんな事もあり谷本館長と出会うまで私の合気道は人から褒められた事はほとんどありませんでした。私はいつでも優秀で褒められる合気道修行者ではありませんでした。
合気道を簡単と思ったことはあまりありませんが、若い頃から私は姿勢を正しく稽古する事に強くこだわっていました。姿勢を崩してまで技を効かせたいと思いませんでした。
私は昔から丹田や軸を意識するような稽古が好きでした。
あなたは、合気道を通じて探求していることはありますか?もしあるとすれば、合気道の練習を通じてあなたが目指していることに近づいていますか?合気道の練習で、さらに練習することをどうして決めましたか?
小川:私は非常に師匠の谷本館長を尊敬しています。今は自分のこだわりをあまり出さず、心を真っ白にして師匠の谷本館長の合気道を学ぶように心がけております。
ちょうど月を映す湖の静かな水面のように
それと私はもともと合気道をマーシャルアーツとして追求する意識があまり強くありません。
私は合気道を通じて自分の心を綺麗にしたい、日本では禊といいますが、そのような合気道の側面に強く惹かれています。
自分がそのように成長していっているかは自分でも分かりません。ただ一生懸命、稽古をして行く中でそうなっていくと信じています。
合気道を今まで続けて来れたのも、これからも続けていくのも偉大な師匠、谷本館長がいたからです。
技の面でも心の面でも学んでも学んでも、学びきれない深さをお持ちの先生で、今だなおものすごいスピードで成長し続けられています。
取り敢えず、必死で追いかけているうちに知らない間に長く合気道を稽古してきただけのことです。
なぜ合心館を選んだのですか?
小川:はじめは選んだのではなく、そこしかなかったのです。
大学を卒業後、就職した会社で関西希望だったのですが、思いがけず愛媛県で働くことになりました。当時車もなく行ける道場が一箇所しかありませんでした。
それが合心館の支部道場でした。
その後、転勤で関西に戻りましたが、どうしても谷本館長の合気道を稽古したくて、自分たちで合心館京都を設立しました。
谷本館長の技は私にはこれしかないと思わせるものがありました。
受けの手が離れなくなり、力が吸い取られて?立っていられない。投げられても嫌な感じは全くなく、むしろ不思議な感覚に技をかけられた方が笑ってしまう。
一言では言えませんが、自分が稽古するのはこれしかないと直感的に思うところ、確信がありました。
谷本先生と始めてあったときのことを教えてくれませんか?
小川:私が就職して入った道場がたまたま合心館の支部で月一回、谷本館長が指導に来られていました。
数回、稽古に行かせていただいた後、谷本館長の指導日がありました。
スゴイ先生だと稽古生から聞いておりましたが、私はずっと都会で稽古をしていましたので、失礼ながら愛媛の田舎の先生に全く期待をしていませんでした。
いつものように稽古にいくと道場の隅に小柄なおじさんが座っていました。その人が谷本館長だとは知らなかったのですが、、、
その正座をしている姿、うまく言えませんが、天と地に体軸が伸びているといいますか、ものすごく研ぎ澄まされた迫力に、この人はスゴイ人だと技を見る前から震えました。
いざ稽古が始まると、私がいままでのどの稽古でも見たことのないような光景でした。
谷本先生は凄まじい勢いで技をかけられて行かれました。そこには全く力を感じさせませんでしたが、受けは凄まじい勢いでコケるのです。
不思議な光景ではじめは気のようなものかなと思いましたが、受けをとっているのが普段ガチガチに持ってきて、スゴく重く強い人達。
気だけであの様になるとは思えませんでした。
この日は私の人生において1番衝撃的な日になりました。
ガーンとハンマーで頭を叩かれた気分です。
何が起こっているのか計り知れないが、もっと知りたい!というのが谷本先生に会った時の感想です。
そこから私は車を購入し、休みの度に片道一時間半をかけて谷本館長の合心館本部に通う生活がはじまりました。
わたしは3年で転勤になると決まっていましたので、可能な限り先生に投げていただき、その感覚を体に刻み込んで置こうと考えました。
朝から晩まで先生に投げていただき、いつも疲労困憊で私の週末は終わっていました。限られた時間でしたので必死でした。
他にあなたが興味をもっている先生はいますか?
小川:二代目道主 植芝吉祥丸先生です。
失礼ながら私が若い頃は吉祥丸先生の合気道が好きではありませんでした。
いつもクルクル回って、技にもエイ!というような気迫がありません。かっこ良くないというのが若い
私の率直な感想でした。
ただ谷本館長から次のような話しを聞きました。
まだ、谷本館長が若い頃、吉祥丸先生が松山に来られたそうです。館長は若く血気盛んだったせいもあり稽古仲間と2人でこかされてたまるかと脇を締めて、諸手で思いっきり腕を取りにいったそうです。
ところが次の瞬間、力が吸い取られてしまうように、スーと何の抵抗もなくこかせれてしまったそうです。
谷本館長は吉祥丸先生の手が忘れられなくて、ご自身で研究をされたそうです。
その話しを聞いてから、良く吉祥丸先生の動画を見ています。吉祥丸先生は私にとってもっとも興味深い先生です。
いくつかのビデオでは、(特に小林憲正さん:関西学院大学合気道部の後輩)我々の先生は、練習中のあなたと座技がとても印象深いと言っています。
フランスでは座技がとても難しいと考えられていますが、フランスの合気道家がそれを難しいと考えている理由はなんだと思いますか?
小川:やはり、昔程ではないにせよ、今でも日本では生活の中で小さな頃から正座をする機会があるのが多少なりとも影響しているのではないでしょうか?
また座技は腰で動かないと素早く動けないと思いますので、日本人は運動などするときに、腰を入れろ!と小さい頃から言われていますので、その点も多少なりとも影響しているのかもしてません。
ただ稽古をすればフランス人も日本人も変わらず上達すると思います。
合気道の受けについて、どう考えていますか?その役割はなんだと思いますか?
合気道は取りと受けはワンセットで稽古するべきだと考えています。ちょうど呼吸と一緒で吐いてばかり、吸ってばかりでは成り立たないのと同じように。
取りの際は中心(軸や丹田)から力を出して行くのに対し、受けの際は中心で相手の力をしっかり受ける様にしています。
呼吸に例えると、取りは吐くこと、受けは吸うこととなるかと思います。
受けは自分の身を守ること以上に、中心がしっかりして柔らかい身体を作ること、また最近では受けを取る中で相手と結びつく様な部分が育って来るのではないかと思っています。
ですから取りと受けは必ずセットで稽古をするように心がけています。
どちらも重要な稽古です。
谷本館長の言葉となりますが、合気道は説明できない。一つ説明できるとすれば、身体を使い切ること、というのがあります。
取りは小手先ですることができますが、受けは全身を使うしかありません。
谷本館長を積極的に受けを取られます。私も何才になっても受けをしっかり取り続けたいと考えています。
フランスでは、合気道に様々な効果があると言われています。(例えば街で襲われたときに受け身が取れる、など)。あなたはどう思いますか?
小川:私は合気道の喧嘩で使えるなど実用性にはあまり関心がありません。 ですから自分が武道家と言われると少し違和感を感じます。
私は先述のとおり落ちこぼれですので、会員さんが稽古に来て楽しいとか、合気道で新しい友達がたくさんできて嬉しいとか、合気道で彼女ができましたとか(笑)
そう言った会員さんが幸福になることに喜びを感じます。
「合気道を修行することが、その人の人生の幸福に繋がらなければ意味がない。」
これは愛媛時代に度々ご指導いただいた山口県の中村克己師範(8段) が言われていた言葉です。この言葉は私の心に深く突き刺さっています。
ですから、、合気道を通じて一人でも多くの方の人生を豊かにすること、、というのを会の理念として活動しています。
質問から少しずれていますが、その様な事を考えています。
師範の中には、現在の我々の技・体の使い方と、昔の師範たちのそれが異なるといっています。
あなたはどう思いますか?
小川:私は目に見える技の形や細かな型の意味付けにはそれほどこだわりはありません。それより身体の中の問題、軸や丹田、呼吸力と呼ばれる目に見えない部分が大切と思います。
昔の先生方の技と今私達が稽古しているスタイルは異なるところがあるかもしれませんが、
本当に大切な目に見えない部分は我々のスタイルの中に根付かせることができると思います。
目に見える技のスタイルの違いに、深くこだわらず、色々なスタイルを尊重して、目に見えない部分を皆で練磨していけばいいのではないかと考えています。
どうして合気道を教えることにしましたか?
小川:私は合気道の指導者だ、合気道を教えているという感覚はあまりありません。
私は多くの方が楽しく合気道を稽古できる場を作るのか自分の1番の役割と思います。
その中で私も皆さんと一緒に稽古をしているような感じです。
私は常に皆さんと同じ目線で稽古をする一修行者でいたいと考えています。
もちろん、指導も必要ですので、その時は一生懸命指導いたします。
合心館京都を作った理由は、まず合心館の合気道を自分が稽古したかったからです。
次には谷本館長の合気道を1人でも多くの人に知ってもらいたい。そのために関西で道場を開くことはすごく意義深い事だとかんがえました。
合気道をはじめた初心者にたいして、どのようなアドバイスがありますか?
小川 :あまり眉間に皺を寄せながら、難しく考えて稽古をしないで、ニコニコ笑顔で楽しんで稽古をしてください。
合気道を好きになれば、技術は後からついて来ると思います。
初心者の方が、合気道を楽しんでいただき好きになっていただく、それが私の1番の仕事だと考えています。そうすることが私が手取り足取り指導するよりもその方の1番の上達につながると信じています。
大阪でも教えていると聞きました。クラブの将来計画はありますか?フランスでは、あなたは歓迎されると思います。好かれると思いますよ(^_^)
小川:合気道を通じて1人でも多くの人の人生を豊かにすること
という会の理念を実現していくために、当面は会員数を増やすことに注力をしていきたいです。それ以降の将来像ははっきりともっていますがここで全てを書くことはできません。将来像の実現に向けて着実に歩んでいきたいと思っています。
ありがとうございます。私も是非フランスで稽古をしてみたいです。合心館はイタリアに支部がありますので、いつかイタリア訪問後、フランスにも行ってみたいです。
※この数年後、フランス パリでのセミナーが実現しピエールさんにお会いすることができました(^^)
(注意)数年前のインタビューで、見返すと恥ずかしい内容になっています。
色々しつれいな事を言っていたり、考えが未熟で現在の考えを少し変わっている分もありますが、
大目に見ていただければ幸いです。